世の中が激流に巻き込まれている。COVID-19というミクロの激流に。
なんですが、見えない。どこに居るのか。不謹慎かもしれませんが、身の回りでこの病に冒された人もいない。
大災害なら身肌に感じます。遠くの出来事でも。しかしCOVID-19は本当に存在しているのか?妄想の中だけに居る心因性の病のように思えてしまう。見えざる恐怖です。写真は本来なら7月からプレスセンターに使われるはずだった、ビッグサイト裏の施設。
一匹の亡霊がヨーロッパを徘徊している、
さかな、たりてますか?魚の紹介。山行の様子。周辺の風景などをお伝えします。
市街地からA6ハイウェイを45分ほど南西に下った Huon Villa から未舗装の側道に入ります。
天然高木林の構成はマツの類の巨木とユーカリ類です。
Sundy Bay のアパートメントの隣人であったピーター氏の広大な農園に到着、広大な家庭菜園といってもいいでしょう。プロの農民ではなくあくまで趣味ですが、とにかく土地を所有するという概念が我々とは全然違うようです。
リタイア前は法律関係の仕事をしていたのですが、生家は農業だったということでセミプロといったところでしょうか。
実際静岡県東部で0.5坪の耕作をコントロールするに大苦労している身からすれば、単純に凄いというほかはありません。
鶏10数羽とポニー2頭を飼育していますが、ポニーは乗馬用ではなく除草用だそうです。
日当たりの良い、暖炉のある住まいです。真夏ちょっと過ぎのタスマニア、暖炉が有難かったです。2日前に過ぎた前線が引き込んだ南極からの寒気が残っていましたので。
カボチャ、ニンニクのねぎぼうず、ズッキーニ。
マルハナバチの類、ユーカリの一種の花とミツバチ、リンゴ。
自分が猫だということを理解していないルーシー。♂なんですが本名はルシファー。天界を追い出された天使…なんでそんな名前を?交通事故にあって三本脚です。何日も行方不明の果てに這うようにして戻って来たそうです。神との戦いからの生還といったところですね。
土地が肥沃なのか、手入れが良いのかおそらく両方だと思うのですが、あらゆるものが生い茂っています。
正直草むしりがしんどいです、30分が限界ですね。腸腰筋がパッツンパツンになって腰が伸びなくなります。これだけの土地面積の雑草を退治することを想像しただけで腰大爆発必至。和歌山県色川村でオーガニック農業に取り組む義伯父曰く自然農法は虫と草との戦いである。もう完全負け戦ですね。
奥様ゲイ女史を迎えに、変な帽子を被って参加する謎のパーティーに潜入。
まったくの偶然に、明晩会う約束の旧友の元上司に会いました。底性魚類の研究者。キハダマグロの研究者にも会い、一気に水産モード突入。
タスマニアで流通するキリンビール「恵み」
写真が無くて残念ですが、夕食は自家製乾燥ミントを大量に使ったラムチョップ。オーストラリアで最も高い肉はラムです。一緒にいただいた知り合いのワイナリーが絶妙にブレンドした赤ワインも絶品でした。
翌日はHuon River を遡り、Flanklin のWooden Boat Centor に立ち寄り、トレッキングの聖地Thaune Forest Airwalk の玄関Geevestonにやってきました。
古い銀行をレストランにリニューアル、木陰でランチをいただきます。
旧友再会。そしてお別れです。短いながらも素晴らしい時間を過ごしました。また16年後に会う?70歳超えてます。
【今回の有難いマイレージ】
【次回予告】
涙の乾く間もなく、Hobart 最大のにぎわいを見せる Salamanca Market に潜入する我等。素朴な地場産品の露天販売、なんすん長泉の直売場に似た16年前の面影を見出すことはできるのか。China Money に蚕食されんとするTasmania は果たしてその素朴さを留めることはできるのか。郷愁と退廃が入り混じる次回、待て。
3号線から Hobart市街地に入るとまず出迎えてくれるのは 1854年に創業されたHobart Gas Company のレンガ造りの煙突です。なんと江戸時代にガスが市民の熱源として普及していたんですね。石炭を乾留して作っていたのでしょう。 40年以上前にその役目を終えています。いまは地ウィスキーの販売店などが入っています。
このランドマークの左手にHobart観光の要衝Water Front 地区が広がっています。Sullivans Coveの Salamanca Place もこのあたりで、週末賑わうSalamanca Market が特に有名です。
Water Front を代表する創業31年の老舗ミュアーズです。自社船操業の鮮魚を使った魚料理が自慢の名店でした。16年前は。
対中共コムソモール胃袋用盛り合わせです。実際店内にはあの方達が溢れかえっていました。これなら迷いませんよね。 客船バースには日替わりでやって来てますから。結構なお値段なんですが。
隣のショーウィンドに並べられた魚たち。中共爆買いにぐったりしてます。
鮮度から見るに現在自社操業は止めているようですね。
Mures の床の装飾、このお店のエンブレムと言っていいでしょう。タスマニアを代表する魚Tasmanian Striped Trumpeter
早々に退散し、地元民御用達の浮き桟橋の店Makoに。左が17年前、右が2018年現在。
イースタン・オーストラリア・サーモンArripis truttaとフウセンキンメAlfonsinoです。イトヨリの仲間と寒海系のカレイ類ですね。ちなみにサーモンと名前が付きますがスズキ目です。南半球に鮭鱒類は自生しませんので。
豪州の国民食 Fish&Chips です。お子様サイズで十分ですね。お値段もAU$12ですし。
ちなみにFish&Chips の起源は非常にはっきりしていて1860年ロンドン・イーストエンド「ジョセフ・マリン」がその発祥だそうです。
かつて日本で生産するイワシ魚油の主な輸出先は英国でした。魚油で揚げるのが伝統的だとか。
Fishy Business 。17前は違う店名だったと思います。生臭い商売…。パンチの効いた店名です。
【今回の有難いマイレージ】
【次回予告】
前回の予告で在豪農園主との再会を予告していたにも関わらず、今回はその前日に訪れたWater Frontの紹介となった。少年マンガ雑誌の予告も次号にまったく反映されていないことがしばしばあった。基本的には同じ構図である。次回こそ再会となるのか、つのる不安を突破し願いをかなえる。待て次回
Hobartで我々を迎え入れてくれたバス&ダイアナ夫妻。我が倅と同い年の息子ヨハンはカナダでスキー三昧中だとか。ギャップ・イヤーと言って、大学進学前にプー太郎(死語か)するんだそうで、文科省も研究していますね。
16年振り涙の再会…っではなく、夫妻は頻繁に日本にスキー旅行に来ています。何年か前、秋葉原でシャブシャブ食べ放題行たよね。
高台の傾斜地にロッジ風の家屋を建てて住んでいます。庭には家庭菜園と果樹。強烈はUVを除けば、良い環境でのんびりと過ごしているようですね。我々に不足しているのは “のんびり” という心の余裕ですかね。退屈に価値があるという。
珍しくはないそうです。
平地にとぼしいので、競うように斜面を造成しています。ここまで登るに歩いては、かなりこたえます。
それでは、いよいよ聖地巡礼です。
16~17前に暮らしていたSundy Bay を訪ねてみました。
アパートメントまったく変わっていません。タスマニア大学からほど近い立地。
よく遊んだビーチも変わらずそのまま。なんかホットしたなぁ
マンションBeach HouseのCaffeもそのままです。日本も同様ですがカプチーノ・マシーンの普及により、コーヒーと言えばカプチーノ。そしてお伴にキャロットケーキ。これがでかい。アメリカのほど塩っ辛くはなくておいしいですね。
結構頻繁に見た我が愛車、SUZUKI IGNIS。まったくハイブリッドを感じさせない燃費。ほとんど国内で見かけることはありませんが、TASMANIAで会えるとは。 ちっとも燃費よくないぞ!っとオーナーさん怒ってたりして。
TASMANIA大学に寄りました。ここもまた変わっていません。日本風のオブジェ、孔子像もそのままに。16年の間にAU$は高騰し資源バブルで結構ウハウハだったのに、高速道路が若干伸びた程度で無暗に公共投資なんてしていません。成功者が金持ちぶるのをバカにする風潮があるせいですかねぇ。
倅が通ったChild care cector も紫外線による劣化が随所に見られるものの往時のままでした。
週4はここで、週一だけ郊外のPixieという保育園にお世話になっていました。
そのPixie ですが、なんと廃墟同然に… いったい何が。
と思ったら、裏手にでっかくリニューアルオープンしていました。
信じられない位の栄えっぷりです。これは大きな変化でしたね。
【今回の有難いマイレージ】
【次回予告】
遠クニアリテ思フモノ… の禁を犯し、次々と確認作業を完了する我等。変化の無さにホットしたのもつかの間、リタイア後に農園を経営する旧友との再会を果たす。静岡県東部0.5坪ほどの家庭菜園でほそぼそと収穫をする我々は、農業大国の技術を盗み取ることができるのか。TPP締結によって激変する食料流通の今後の行方を占う。まて次回。