2014年4月8日火曜日

逢いはせなんだかよ 館山沖でよ




“ 逢いはせなんだかよ 館山沖でよ 二本マストのよ 快鷹丸 ”

1907年7月7日、教官2人に引率された実習生21人が乗組員14人と共に乗船した快鷹丸は東京を出帆、館山及び下関を経由して釜山に寄港後、サバ巾着網実習のため8月30日迎日湾に到着しました。

まもなく来襲した台風に総力をあげて対応しましたが、9月9日操船不能になって座礁大破し、死者4人(教官1、実習生3)を含む負傷者多数を生じて船体は放棄されました。
「楽水会・パンフレットより抜粋」

近代水産健児の意地はこの海難時の決死の奮闘を原点としているといってもいいのではないでしょうか。



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