Dove湖畔のシャトル発着場。雨具のまま乗車。ドライバーはまったく意に介しません。シートがビニル敷きだからかもしれません。 ビジターセンターにとって返し、Cradle Mountain-Lake St Clair National Park を後にします。
湖畔周遊以外にも素晴らしいトレッキングルートが整備されているので、今生にまた訪れたい。是非!さよならクレイドル・マウンテン。
顧みる山塊はMt.Roland. ビジターセンターからひたすら下ること1時間。Sheffield町に到着。目的はもちろん。タイヤ交換です。
ハッハッハッ、どうした。何?Flat Tire だと。まかしとけ。ハゲたゴリラみたいなマッチョな社長があっという間に修理してくれました。お幾ら?20AU$でいいぜ。んじゃ気いつけてな。
ほっとした途端お腹が空きました。ここシェフィールドはウォール・ペイントで有名になりつつある小さな町。カフェでランチとします。今行初のフィッシュ&チップス。
タスマニア州自体がひっそりとした場所なのですが、その中でもとりわけひっそりとしています。このペイントがなければ、ただの集落といったところです。何か一つでも“ウリ”があれば、とりあえず中国人はやって来てくれるようです。シェフィールド良かったですね。中国人は居ました。
シェフィールドを後に車は一路州都ホバートを目指します。本日午前まではクレイドルマウンテンに居たのに、どんどんフェーズは変わっていきます。
もう、この富士宮市あたりの市道を時速110kmでオラオラ走らされるのです。やがてMidland Highway に接続し、ホバートまでひた走りです。
この平べったい土地の疎林は、牧草地のための伐採によるものか、それとももとからそのような土地柄なのか、遂に確かめずに終わりました。地中海は燃料のための伐採によって、今の乾燥した気候に変容したそうで、ひょっとしたら人手の入る前の豪州も実は湿潤な土地だったのでは。現にわずかに残るゴンドワナ大陸由来の自然林は、密な植生により地衣類が繁茂していますので。
途中「魔女の宅急便」の聖地Ross Villageに立ち寄ろうかと迷いましたが、時間が微妙(1700を回るとほぼすべての店はクローズするので)なので止めました。
少し心残りではありますが。一路ホバートを目指します。17年振りの我が聖地へと。沼津市内国道1号線を110kmで爆走中。
え~っと、そんな訳でHobart に到着です。高松市の屋島っぽいのが、市内ランドマークのMt.Wellington ッです。17~16年前、母子が1年間を過ごし、私は通算3か月位を過ごした街。外地における第二の故郷といえるでしょう。国内であれば第二の故郷は下関市になりますが。ただいま!。本日の行動、Dove湖畔周回→シェフィールド町パンク修理と昼食→Hobart市内。
【今回の有難いマイレージ】
- 習 近平主席の訪タスマニア島以来、中共コムソモールの聖地となっている。特にラベンダー畑 Bridestowe Lavender Estate でラベンダ・ベアを購入することは中共幹部に参入するための必須条件である。
- 時間と空間の感覚は、おそらく育ってきた環境に大きく左右される。日本の狭い国土では一車線の一般道を70-80kmで走っているのは
凄く頭の悪い小僧よほど急いでいる人だが、タスマニア島内では110kmで普通にバアさんも オラついている走っていらっしゃる。 - インフレーションの賜物により、GSのアイスが4$もする。それに比べると、ガソリンがほぼ日本と同額というのはかなり安いということだろう。ちなみに原油の自給率は20%程度であり、エネルギー資源の純輸入国であるのは意外である。ウランの推定埋蔵量は世界第一位ではある。
- ふるさとは遠きにありて思うもの…とうたったのは室生 犀星だったろうか。愛する地を再び訪れれば、その変貌には記憶を塗り替えねばならない。ということだろう。はたしてホバートは17年前を今も留めているものか。
【次回予告】
ついにHobartの地を踏んだ我等。…そして悲しくうたふもの。その代わり様に胸を痛めるのかそれとも記憶をより鮮明にハイライトするものか。物理的に遊動しつづけたCanberra~Hobart、心の旅路が今始まる。終わった時に残るものは。次回扉は開かれる。
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